対訳
辛ラーメン、セウカンなどで韓国食品産業を牽引した「ラーメン王」辛春鎬・農心会長が3月27日、享年92歳で死去した。辛会長は老人性疾患でソウル大学病院に入院中だった。
신라면, 새우깡 등으로 한국 식품산업을 이끈 ‘라면왕’ 신춘호 농심 회장이 27일 향년 92세로 별세했다. 신 회장은 노환으로 서울대병원에 입원 중이었다.
1965年に農心を創業した辛会長は辛ラーメン、チャパゲティ、セウカンなど国民から愛される製品を開発し、農心を韓国の代表的な食品企業に成長させた。特に辛ラーメンは世界100カ国余りに輸出されるなど、韓国産食品の代表的な成功神話として認められている。
지난 1965년 농심을 창업한 신 회장은 신라면과 짜파게티, 새우깡 등 국민의 사랑을 받는 제품을 개발해 농심을 국내 대표 식품 기업으로 성장시켰다. 특히 신라면은 전세계 100 여개국에 수출되는 등 K식품의 대표적인 성공 신화로 인정받고 있다.
https://www.mk.co.kr/news/business/view/2021/03/291969/
1986年に発売された農心の代表商品「辛ラーメン」は、故・辛春浩会長が自分の名字を取って名付けた。当時、製品発売に先立って開かれた試食会で「辛味が強すぎて売れないのではないか」という懸念があちこちから出たが、辛会長が「独特の辛さで勝負しよう」と開発チームを励ましながら製品発売を後押ししたという。1991年にラーメン1位となった辛ラーメンは、これまで一度もその座から追われたことがない。
1986년 출시된 농심의 대표 상품 ‘신라면’은 고 신춘호 회장이 본인의 성을 따서 이름을 붙였다. 신 회장은 신라면 탄생의 전 과정에 깊이 관여했다고 한다. 당시 제품 출시에 앞서 열린 시식회에서 “매운맛이 너무 강해 잘 팔리지 않을 것 같다”는 우려가 여기저기서 나왔지만, 신 회장이 “독특한 매운맛으로 승부하자”고 개발팀을 격려하면서 제품 출시를 밀어붙였다고 한다. 1991년 ‘1등 라면’이 된 신라면은 지금까지 한번도 그 자리에서 밀려나지 않았다.
https://www.huffingtonpost.kr/entry/nongshim-shin-chun-ho_kr_605e86c8c5b67593e058b660
故・辛格浩ロッテグループ名誉会長と辛春浩会長は慶尚南道蔚山で生まれた。9歳違いで10人兄弟(5男5女)のうち、それぞれ長男・三男だ。 辛格浩名誉会長が1948年、日本でロッテグループの根幹であるガムメーカー・ロッテを設立して事業を始めた当時、辛春浩会長も一緒に企業を育てた。辛春浩会長は1958年から1961年まで、日本ロッテの副社長を務め、1962年からは日本ロッテの取締役を務めた。
고(故) 신격호 롯데그룹 명예회장과 신춘호 회장은 경남 울산에서 태어났다. 9살 차이로 10남매(5남 5녀) 중 각각 장남·3남이다. 신격호 명예회장이 1948년 일본에서 롯데그룹의 근간인 껌 제조사 (주)롯데를 세우며 사업을 시작할 당시 신춘호 회장도 함께 기업을 키웠다. 신춘호 회장은 1958년부터 1961년까지 일본 롯데 부사장을 맡았으며, 1962년부터는 일본 롯데 이사를 지냈다.
辛春浩会長は1965年、資本金500万ウォンで今の農心社屋のソウル銅雀区新大方洞にロッテ工業を創業し、ロッテラーメンを発売した。しかし、辛格浩名誉会長は「まだ時期尚早だ」と引き止めた。それでも辛会長が考えを曲げないと、結局、辛格浩名誉会長は「ロッテの社名を使うな」と脅した。これに対して辛春浩会長は1978年、社名を農心に変え、兄と決別した。以後、双方は数十年間往来を絶ち、家族の祭祀も別々に行ってきたという。
신춘호 회장은 1965년 자본금 500만원으로 지금의 농심 사옥인 서울 동작구 신대방동에 롯데공업을 창업하고 롯데라면을 출시했다. 그러나 신격호 명예회장은 “아직 시기상조”라며 이를 만류했다. 그럼에도 신춘호 회장이 고집을 꺾지 않자 결국 신격호 명예회장은 “롯데 사명을 쓰지 말라”고 엄포를 놨다. 이에 신춘호 회장은 1978년 사명을 농심으로 바꾸고 형과 의절했다. 이후 양측은 수십년간 왕래를 끊고 집안의 제사도 따로 지낸 것으로 알려졌다.
https://biz.chosun.com/site/data/html_dir/2021/03/27/2021032700436.html
ちょっと解説
辛ラーメンが有名すぎる農心の辛春浩会長については、様々なエピソードが残っています。1971年の「セウカン」は、当時幼かった娘が「アリラン」を「アリカン、スリカン」と歌っていたことにインスピレーションを得て、子どもでも言いやすい「セウカン」という名前にしたというエピソードも。
そもそもなぜ、ラーメンだったのか。毎日経済の報道によれば、辛会長は1963年から独自路線を模索しはじめ、経済発展とともに都市化が進んだ日本で人気を博していたインスタントラーメンに注目。朝鮮戦争の後遺症が癒えず、食糧難にあえいでいた韓国で、日本のようなスナックではなく主食の代用食として開発しようと、研究部門まで作って開発に試行錯誤を重ねたと言われます。
しかし実は、韓国初のインスタントラーメンは1963年に発売された三養ラーメン。韓国の厳しい食糧事情に胸を痛めた明星食品が、技術提供やレシピの無償提供など、格別に援助したという逸話もあります。三養食品が実験室を発足して韓国人の嗜好に合うスープの開発を始めたのは1966年。奇しくも、両者が大きく影響されていることが浮き彫りになります。
世界ラーメン協会によれば、2019年に最もインスタントラーメンの需要が大きかったのは中国・香港ですが、人口1人当たりでは75.1食の韓国がダントツで1位となっています。日本はおよそ46食といったところ。
ちなみに#NDK064では、1日3食、ラーメンだけを食べ続けて30年以上過ごした91歳の男性について紹介しています。
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