韓国系カザフスタンのフィギュアスケート選手 デニス・テン(25)の死亡に、キム・ヨナ(28)をはじめとするフィギュア界の追悼行列が続いている。
한국계 카자흐스탄 피겨스케이팅 선수 데니스 텐(25)의 사망에 김연아(28)를 비롯한 피겨계의 추모행렬이 이어지고 있다.
キム・ヨナは20日、自分のSNSを通じて「悲劇的なニュースを聞き、あまりに衝撃的だ。まだ事実と信じられない」と残念がった。
김연아는 20일 자신의 SNS를 통해 ”비극적인 소식을 들어 너무 충격적이다. 아직 사실이라는 게 믿기지 않는다”고 안타까워했다.
続いて「デニス・テンは、誠実でフィギュアスケートをとても愛した選手だった。情熱的で立派なスケーターを失ってとても悲しい」と哀悼の意を表した。
이어 ”데니스 텐은 성실하고 피겨스케이팅을 너무 사랑했던 선수였다. 열정적이고 훌륭한 스케이터를 잃어 너무 슬프다”고 애도를 표했다.
チェ・ダビンも「信じられないニュースだ。カザフスタンにいるとき助けてくれ、応援してくれた。デニス・テンが最後にくれた言葉を一生忘れない。とても懐かしい」と切なさを伝えた。
최다빈도 ”믿을 수 없는 소식이다. 카자흐스탄에 있을 때 챙겨주고 응원해줬다. 데니스 텐이 마지막에 해준 말을 평생 잊지 못한다. 많이 그립다”며 안타까움을 전했다.
イ・ジュンヒョンも生前のデニス・テンの写真を掲載して「あなたと共にいられて幸せでした。安らかにお休み下さい」という文章を残した。
이준형도 생전 데니스 텐의 사진을 게재하며 ”당신과 함께해 행복했습니다. 편히 쉬세요”라는 글을 남겼다.
国際スケート連盟(ISU)のヤン・ディケーマ会長は「才能のあるスケーターであり、フィギュアスケートの広報大使だった。世界中の多くの人々にインスピレーションを与えた。デニス・テンの家族や友人に哀悼の意を表する」と伝えた。
국제빙상경기연맹(ISU)의 얀 디케마 회장은 ”재능 있는 스케이터였으며 피겨 스케이팅의 홍보대사였다. 전세계 많은 이들에게 영감을 줬다. 데니스 텐의 가족과 친구들에게 애도를 표한다”고 전했다.
デニス・テンは19日、カザフスタンのアルマトイで通り魔2人と争いを繰り広げ、刃物で刺された。病院に搬送されたが出血多量で結局、死亡した。海外メディアによると、暴漢はデニス・テンの自動車のバックミラーを盗もうとして争いになったことが分かった。
데니스 텐은 지난 19일 카자흐스탄 알마티에서 괴한 2명과 다툼을 벌이다 칼에 찔렸다. 병원으로 후송됐으나 과다 출혈로 결국 사망했다. 외신에 따르면 괴한들은 데니스 텐 자동차의 백미러를 훔치려다 다툼을 벌인 것으로 알려졌다.
デニス・テンは、義兵長として活動した独立運動家・閔肯鎬(ミン・グンホ)先生のやしゃご(ひ孫の子)だ。2014ソチ五輪フィギュア男子シングルス銅メダル、2015国際スケート連盟(ISU)4大陸選手権の金メダルを獲得し、カザフスタンを代表するフィギュアスターとして活躍した。
데니스 텐은 의병장으로 활동한 독립운동가 민긍호 선생의 고손자다. 2014 소치올림픽 피겨 남자 싱글 동메달, 2015 국제빙상경기연맹(ISU) 4대륙선수권 금메달을 따며 카자흐스탄을 대표하는 피겨 스타로 활약했다.
デニス・テンの一族は、政治や国際情勢に翻弄されたと言っても過言ではない、過酷な生涯を送っていました。
デニス・テンの祖父の祖父にあたる閔肯鎬は朝鮮王朝末期、大韓帝国の軍人でした。1905年に日露戦争で日本が勝ち、大韓帝国は日本の保護国となって外交権を剝奪されます。高宗はハーグに密使を送って日本の不当性を世界に訴えようと試みますが成就せず(ハーグ密使事件)、高宗は退位に追い込まれ、韓国軍は解散されます。
この軍解散に抗議して朝鮮半島全土で大規模な武装蜂起(義兵闘争)が起こり、閔肯鎬は江原道での義兵を指揮して日本軍や警察を襲撃します。しかし、1907年に閔肯鎬は日本軍に捕らえられて殺害されます。
妻と幼い息子は、やはり独立運動家だった安重根の助けを借りて国境を越え、満州(中国東北部)へ逃亡。しかし1909年に安が哈爾浜で伊藤博文を暗殺して捕らえられると、閔肯鎬の家族は身の危険を避けるため、再び国境を越えてロシア沿海州へ渡ります。
時代は下って1937年。すでにロシア帝国は滅びて社会主義のソビエト連邦が成立していました。日本と緊張関係にあったソ連は、沿海州に住んでいた朝鮮民族に中央アジアへの強制移住を命じます。
スターリンにアジア系の顔の区別がつかず、スパイになることを恐れたとも言われますが、十数万人の朝鮮民族が財産を没収され、凍土の地・シベリアで苦難の生活を強いられることになりました。この中に、閔肯鎬の一族も含まれていたとみられます。
閔肯鎬の一族は今も韓国をときどき訪れ、ルーツを確認しているようです。
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